Note

『PUPPTRY HOW TO DO IT』実践的に読み解く研究会 記録

2021年7月17日(土) 公開

2021年7月12日13日14日の3日間、ファシリテーター塚田次実のもと五人の参加者を得て『PUPPTRY HOW TO DO IT』著者 Mervyn Millarの実践的読み解く研究会第1回の終了後感です。『PUPPTRY HOW TO DO IT』は、昨年10月に「人形劇ファクトリー」(松沢文子氏)が開催してくださったZoomWSで紹介された著書。司会進行くすのき燕氏のもと、講師の玉木暢子氏が概要を案内してくださったものです。その後 AMAZONで取り寄せて読み進め、次実さんと相談しながら準備を進めていた企画です。

参加者
gG稽古参加者20代女性1名、30代女性1名、インディペンデント人形劇団人形遣い30代女性1名(gG稽古経験者)、小劇場俳優演出家40代男性1名、舞踏ダンサー女性40代1名(gG作品参加経験者)
 参加者へのPCR検査を実施したことにより、検査結果が間に合わない1名が初日Zoom参加になりました。もっとも外部存在としての参加希望者だった俳優女性20代が、 PCR検査を受けた場合の現行参加芝居への懸念とZoom環境がないための不参加になりました。

第1章「hand」(塚田の進行予定参照)
私の居方は、ファシリテーター塚田次実の研究素材でもあったので色々でしたが、おかげで発見もさまざまで、超充実の3日間を過ごしました。
「聞く」と「読む」の違い
「読む」と「やる」の違い
「見る」と「やる」の違い
もっと色々ですが、そりゃそうでしょっていうレベルではなく、異質を本質レベルの違いで実感しちょっと興奮なくらいでした。 
 また、研究会終了後の次実 様さんとの振り返りは、大きな収穫でした。

 実は、第2章までをグーグルセンセと電子辞書さん伴走で訳し終えた時点で、こんなに悪戦苦闘しても記述に新しい発見が1つもなく、喜びより苦しみばかり、すっかり飽きてしまいました。2章のラストであまり好きでない領域に入ったのでもうゲッソリ。でも意思としては、このように構造的に記された書物との出会いは始めてでそれは貴重だと思う気持ちは変わりませんでした。
 次実さんと準備を進めるうちに「最後まで訳してたらいつになるかわからん、無理!」と見切り発車でした。


 初日。私は、始まりの挨拶をし、主に次実さんのファシリテート記録者として立ち会いました。
 書籍購入時頃玉木さんから連絡をいただき、実践するときに立ち会いたいと申し出をいただいていたことを塚田に伝え、判断は任せました。塚田は、外部の目がない環境でやることの重要性が書かれていることを重視し、しかし、玉木さんに目撃していただく大切さも捨てがたいと判断し、Zoom視聴に決めました。

そういう観点もあって、あまり参加者をつぶさには観察しないようにしていましたが、寝落ちの多いことには笑えました。
 Zoom参加者が一人いたため、始まりの自己紹介ボール受け渡しゲーム(本の内容にはありません)で、画面向こうに投げられたボールは私が受け取り、画面向こうから投げられたボールを私が投げるとなりました。(始めてからの参加者からの発案)個人的にそれがとても面白かったです。とても人形遣い的感覚を駆使しなければならなかった点です。

振り返りでは、到着点までを見通した理解をしていないで始めたのはまずかったかな?という点が問題に上がりましたが、そのことにより、ファシリテーターが内容の信望者であるわけではなく、また、一つの芝居へ向けた共通言語獲得のWSでもなく、勿論スキルアップWSではなく、この本を実践的に読む解く研究会である立ち位置が確認できたことはよかったと思います。
 寝落ち問題に関しては、アップ内容が比較的ハードであるため、その後の極めて静的な時間に急速に眠気が来てしまう事態を避ける時間配分を考慮し、アップ内容を小さくすることはやめました。本の内容に、人形劇をやるにあたり身体アップの必要性が書かれていること、また塚田の信念によるところです。
 塚田から、参加者中、男性俳優の参加者以外は大きな抵抗もなくこなしている感がして、それをどう壊していくかが問題だと上がりました。原因の1つとして、gGの稽古で、似たようなことをやっているため、その経験の中にとどまっている姿勢があると気づき、何かできることを示す意識を取り払うことの重要さ困難さも浮上しました。正解を探すのではなく疑う、考えるのではなく本能に従う、というキーワードを強く押し出そうとなりました。
 興味深い点は、いわゆる擬人化は、ダンサー女性に若干見えたくらいだったことが、逆にいわゆるgG的で気持ち悪い、素直さがすでに欠如してるかも、となりました(爆)
 男優は、見当付かないことにより、手を自分の子供に見立て、新生児から立ち上がろうとしていることをやったと言っていました。非常に面白かったのですが、それにより、自分と手という関係性が生じ「手の動物」というこの章の課題を超越している点をどう捉えていくか考えました。
 以上のことなどから、やはり私が同じ場に居ることはどうなんだろう?となり、塚田が個人的に連絡することでそのあたりをサーチし、どうするかの判断をすることになりました。
 何しろ時間をかけようと、2日目の予定プログラムを減らして実践することにしました。

2日目。私は始まり時に、著者に関しての説明が不十分だった点を補ってから、別室で玉木さんと同じようにZoom観察と思っていたのですが、塚田に判断は参加者になる、でした。全員に異議を問うて無しだったため、私は急遽稽古着に着替え参加となりました。

参加者としての感想は、面白く楽しかったです。私は眠くなりませんでした。
 1回目の40分集中の没入と、それを経験してからの2回目30分集中では、集中の質感が違っているのも気づきました。ファシリテーターの言葉にセンサーをはって、自分の呼吸と手の呼吸を同調していくって、最高好きなことだなと思いました(笑)。
 最初の指示で、重さ、息づき、眠り、起き上がりを自分のペースでと指示されたので、起きあがったところ、寝言を言うかもしれないと言葉がかかり、あれ?早かったかと二度寝をしてしまい、今度は起き上がれなくて困りました。

 振り返りでは、当然ですが、参加者としての気づきから入りました。まず誘導していく言葉が多いと、手に集中していながら聞いていくということに限界が生じ、言葉を聞くという集中が働き、手がおろそかになる、心が切れる、と伝えました。塚田は、本に記載されていることに自分の解釈を入れないよう気をつけ、皆読み上げてしまった箇所だったと気づきました。どんなタイミングでどのような言葉を発するか。聞いている誰もが自分に声かけられていると思えるような声かけとは。寝落ちした者は起こした方が良いのか、など発展しました。
 40分の集中は、あれ以上ではもたなかったかもしれないがもう少しやりたい気持ちで終わらされたような時間でちょうど良かったと伝えました。塚田が見る限りでは、その後の30分は、最初の40分ほどの集中にはならなかったと聞き、本に記載されている、人形遣いが混じることの影響に関して話し合いになりました。この段階でははっきりしませんでした。
 恐怖を感じると言う指示で、怖いとかの振りが一切なく全員がひたっと固まったのが、とても素敵だったらしいです。
 参加者男優に若干の飽きが見えてきて、なぜかそれがまた面白く現れることも話題になりました。

明日は、出会いなので私の存在は影響してしまうだろうとなり、退室と予測して終わりましたが、やはり塚田が個人的にサーチして判断することとなりました。

3日目。塚田の決定は、アップ参加、一枠目退場、二枠目参加でした。

一枠目、別室でZoom観察。全く飽きませんでした。
動けずにいる男優に、どういうわけか群がる女性陣の手。手の動きはスムーズで無理なく結構うまいので、だからかなり疑問を覚えました。
 過去に実施したWSで、出会いというとすぐ群がりつるみ出すのが、どうも解せなく、これでもそうか、、、と見ながら、もうタジラジと逃げ続ける、と言っても壁際で動きは取れない状態での男優の手と、容赦無く関わろうとする他の手の違いが興味深かったです。

二枠目参加。
 周囲を見回し、他の手を発見して、とかの言葉がかかるが、指先立っても床から10cmほどの手には天井をどうやってみようか、とか、こちら側に何かいそうだけど見えない、とか私はなかなか具体的に関わることができませんでした。しかも、相手は何を考えているかわからないと言葉がかかり警戒心も生まれました。2つの手が近寄ってきて出会いが生じました。1つところにとどまらないでと言葉がかかったので、私の手の全速力で2つの手の囲みから脱出したら、行く手に別の手がいたので近寄ろうとしたら、威嚇されたと感じたので逃げ、逃げた先になんかいじけた男優の手があったので優しく近づいたつもりだったのですが避けられました。そうこうしているうちに込み入ってきて、目の前に握った手の穴が見えたのでつついてみました。今日の動物(最初に自己紹介ゲームで決めている)に変化と指示。今日はキリンだったので軽快でした。

やり終えたごとの皆での会話で、ダンサー女性から、周囲をいると言われてもどう見ればいいのか、手に近づいてみればいいのか、自分でみればいいのか、わからなくて、とでました。男優からは、手同士が会話すると言われても、あ〜俺は芝居の人間で言葉で考えていると自覚し、別の方法を考えているうちに終わってしまったと出されました。やっとでてきたと、と思いました。

振り返りでは、疑問、不満の中に大きな発見があると再確認しました。
塚田は、男優の顔が大きく動くことで、皆の顔に意識が向いた瞬間があったそうで、手を見つめてしまい顔を観察し忘れたと言ってました。(2日目のことだったかもしれません)
塚田の観察したかった私の参加による変化は、場に良い緊張感が生まれる現象で明らかに変化があったそうです。人形遣いが入ったからなのか私だからなのかは、参加者が身内すぎて判断できないとのことでした。

3日目の私の大発見は、現在『戦火の馬』という、舞台芸術に造形物を登場させる段階を不動の高みまで持っていった著者が、この書物を記したかったわけが理解できたように思えたことでした。なぜ『hand』から始めているかも私に伝わったと思いました。新しい発見がないとか飽きたりしてごめんなさい、と心を入れ替えた次第です。もちろん、私の理解でしかないのですが、、、。 

最後までの過程を、モノと関わる極めて初期に、少なくとも半年集中して体験していったら、その後はかなり自由だろうなと思いました。つまりこれがモノをつかう基礎教養なんだと思います。だから、実践的になるのはこの先で、形態模倣レベルは論外として、これができたから戦火の馬がつかえるわけではないということ、しかし、これを通過しなければ戦火の馬へは到着しないということを、痛いほと感じました。

偶然にも、ラボに遊びがてら3~4回一緒に稽古したイギリス人の若い娘さんアリシアさんが、個人の資質もあるだろうけれど、gG稽古の鉄板タオル人形も三人遣いも初体験にも関わらず、ためらいなく入り、芯をとらえていたことを思い出し、彼女がこの著者のthe curious school of puppetry生徒であったという事実に納得した次第でした。


hou toというと日本人は即実践可能なやり方みたいに捉えがちですが、この本はま〜たくそうではありません。なぜ『 PUPPTRY HOW TO DO IT』というタイトルなのか考えてしまいました。そして「PUPPRTR HOW TO DO IT」ではないことに気づき、納得しました。これは、人形遣いの指南書ではく、モノと関わる人の心構え入門書なんだと思いました。

私の一番の大発見は、知っていることを更に再び知ったことです。知るということは幾層にもなっているのだと改めて自覚しました。「知っている」と終わらないことや「知っている」と自己保身しないことこそ、終わりなき創造的表現身体だとしみじみ思いました。

パート1での発見は覆されるかもしれない、とも思い、最後まで辿りつくのはいつのことかと遠い目線です。

しかし、グーグルセンセの翻訳は流暢で、何を指しているかむしろ解らなく、あえて一字一句を訳し直してみることがしばしばありました。それは日本語にはなっていないけれど内容はより理解できたりしました。それをまた推敲して日本語にして共有していく、、、。「原語本」と「翻訳本」の違いもものすごいものだな、、、何一冊原語で読んだことのないんだな、、、と。言葉って、、、というしこりもなかなか複雑な味わいに変わっていきました。

もう自分は実践しないと思いますが、モノ遣い基礎稽古というのがどういうものか、教えてもらった気がします。gGで三ヶ月研究所構想(三ヶ月間週5日 身体、演技、遣い)でやった全ての枠を、モノとの関連の中でやることですね。それはわかっていた気がするのですが、自分にはそれができるとは思えませんでした。

別枠で身体、演技、造形などを専門家に学びながら、遣い手専門職は、モノとの関連の中でそれらをやることが、モノ遣い基礎稽古。それには一定の保障された時間が確保されねばならず、総合してリードしていける人材が必要ですが、この本をリーダー側からマスターすることで、勿論ある一定の水準を保つ人材なら可能ではないかと希望も持てました。

P-2000での視覚から攻め込む創造の前にも、これを経験していれば更に充実していただろうとも考えました。それはペトルの美術の舞台で、どういう操演者が使うかで芝居がだいぶ違ってしまう事実と照合できると思います。

初日振り返りでは、到着点までを見通した理解をしていないで始めたのはまずかったかな?と思ったのですが、実践的読み解きをする研究会としては、逆に良かったのではないか、と思えた結果でした。

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